美容師の皆さんは目標はありますか?
トップスタイリストになる、教育のプロになる、月収100万円を達成する、オーナーになるなどキャリアはさまざまです。
私は20代でオーナーになりました。
それまでにはさまざまな想いで過ごして参りました。
この記事では、私がオーナーになるまでにどのようなキャリアを過ごしてきたのか、想いなどを解説していきます。
キャリアを伸ばしたい美容師さんの参考になれば幸いです。
・美容師歴24年/美容室2店舗の経営者
・10年連続グループ売上No.1
・最高月間指名売上200万円以上
・100名以上の美容師の育成に携わる
高校卒業してすぐに美容室へ就職
私はポリッシュヘアーメイクの1号店に高卒で就職しました。
正しくいえば高校3年生の秋に美容学校通信科に入学し、ポリッシュヘアーメイク1号店でアルバイトを始めました。
もともと母がポリッシュの創業者の常連客だったのです。
それから24年、このポリッシュヘアーメイクで過ごしていて、1度も辞めていません。
私の性格は、やりだすと止まらなくなる、正しくいえば止まれない性格です。
それに加えて負けず嫌いで、同期よりも先にスタイリストデビューしようと固く決めていました。
アシスタントのころはとにかく早くスタイリストになりたくて、営業後の練習が終わったあと、家にウィッグを持ち帰って練習していたものです。
特に素晴らしい才能に恵まれていたわけではありませんでしたが、努力はした方だと思います。
20歳でスタイリストデビュー
スタイリストデビューは20歳の夏でした。
当時のスタイリストデビューが平均3年ほどだったのが、2年半でデビューできました。
通信科だと学校でワインディングなどの技術練習がほぼないため、昼間の学校を卒業した学生が3年ほどでのデビューでしたので比較的早くスタイリストデビューできた方だと思います。
同じ歳の新卒生が入社して、みんなカラーの塗布練習などをしてた時に私はスタイリストです。
スタイリストになりたてだったこともあり、同じ歳のアシスタント達の気持ちが分かるころでしたので、店長などに注意されて気落ちしていたアシスタントを励ますなど比較的優しいスタイリストだったと思います笑
同時にプレッシャーも感じていました。
スタイリストデビューしたとはいえ、全ての技術をマスターできていたわけではなく、自信もありませんでした。
当時の流行スタイルは、レイヤーとソギ感をしっかり入れた軽いスタイルが多く、重めのワンレンスタイルなどのオーダーはあまりいなかったので、ボブなどのスタイルが苦手でした。
スタイリストデビューしてから順調に指名数が伸びていったのですが、1年後くらいに60人くらいで1度伸びがストップしてしまいました。
そこで苦手なボブスタイルなどカットの練習や、パーマなどの研究をし、外部のセミナーなどにも休日に自分のお金で行き新たな技術を習得しました。
数字というのは正確で、やれば伸びるしやらなければ伸びない。伸びなければ人のせいにしてはいけない。そんなことを学んだスタイリストデビューの年だったと思います。
デビュー1年半の21歳で指名数100名達成
各方面の方々の指導もあり、集客も順調なサロンでしたので入客もたくさんさせていただき、デビューしてから1年半で指名数が100名に到達しました。
イメージは月に10人ずつ指名数が伸びている感じです。
デビューから働いていた店舗では最終的に指名数150名を越えていたのですが、ターニングポイントの数字というのがありました。
・100名
・130名
・150名
私の場合は、上記の数になるたびに伸びなやみがありました。
その壁のたびに自分のストロングポイントを伸ばしていき、なんとか数字を伸ばせていた感じです。
ストロングポイントは技術もそうですが接客も含めてです。
・アドバイスをもらう
・セミナーに行く
・効果的な練習をする
伸びなやみの時期は必ず訪れます。
そんな時は自分を見つめ直すと、足りないものが見えてきます。
その度に新しい何かを取り入れると顧客の幅も広がり、今までつかなかったお客様からご指名をいただける、そんなことを毎回の壁のたびに感じていました。
23歳で副店長に昇格
23歳で12、3人ほどの店舗で管理職に昇格しました。
スタイリストだったころは自分の売上ばかり追っていたのですが、管理職についてからはお店全体の売上を見なければいけません。
当時の店長とは家も近かったので、一緒に通勤することも多く車の中でミーティングをしたり、営業後よくミーティングをやっていました。
よくコミュニケーションはとっていたと思います。
考え方の違いから時には口論になることもありましたが、見事目標の売上を達成するなどとてもよき副店長時代を過ごさせていただいていました。
ここで私は大きな失態をしてしまいます。
当時私はお店の売上が上がっていくにつれて自分もいつの日か店長になりたいと思うようになりました。
そして勘違いをしてしまい、店長を押しのけて自分が上に立てないか、などと思うようになり、スタッフたちに店長の悪いところを言っていいよなどとけしかけてしまい、逆にスタッフ全員から総スカンをくらってしまいました。
認められたい、自分の功績だと言われたいなどといった曲がった欲がとんでもない行動になってしまい、まさにマイナスの考え方が自分に因果応報として返ってきた良い例でした。
参照記事:美容師の【人生と仕事の結果をプラスにする】考え方の方程式
私は猛反省をし、信頼を取り戻すには、と必死になって考えました。
失うのは一瞬、取り戻すのは10倍。
今となっては良い教訓です。
26歳で新店の店長に昇格
私は店長になりたい、という明確なキャリアの目標があったので、当時直営だった社長に直接店長になりたいことを伝えました。
そして東京都葛飾区金町というエリアの直営店【ポリッシュヘアーメイク金町店】のオープニングの店長として異動になりました。
嬉しかったと同時に店長になることが目標ではなく、店長になってお店をどうするかが大事だと思いました。
副店長時代の教訓を活かし、さまざまなことにトライをし順調に売上を伸ばすことができました。
オープニングの初月で売上300万円程度だったものを、2年で500万円の売上に伸ばすことができました。
店長というポジションになってさらに明確になったことがあります。
それは美容室というのは1人より仲間と一緒にやっていくほうがさまざまな面で良いということです。
複数人いればそれぞれの思想があります。
全ての人が価値観が合うということはないですが、違う価値観を尊重し、助け合うというのはできることで、本来の日本人の美学でもあるのではないかと思います。
店長という経験は私にとってスタッフを大切にしなければいけないという基本の部分を強く学ぶ期間になりました。
当初私は自分がお店で1番仕事ができないといけない、指導しなければいけないと強く思っていました。
自分の言うことが1番正しいと思っていた私は全て指示を出し、皆を引っ張っていこうと意気込んでいました。
ですが、そこで弊害が出ます。
私が思っている以上にいてくれたスタッフたちはとても優秀で、どちらかというと任せて欲しいと思っていたようでした。
何もかも私が責任をおって全て自分がやるぞ!と思っていた私はその時初めて仲間の頼もしさに心揺れたのを今でも覚えています。
店長というのは何もかも自分がやるんだという価値観から、スタッフの成長のきっかけ作りこそ店長の最大の仕事だとその時に学ぶことができました。
店長という役職はとても大きな学びになり、1人より仲間と仕事をすることの大切さを痛感させられた期間になりました。
29歳でフランチャイズオーナーに
店長就任から3年ほどで、直営全店舗を既存の店長にフランチャイズとして売却するという本部からの通達があり、私はすぐにやろうと決心しました。
それが2024年現在の【ポリッシュ金町店】【ディバイン金町店】です。
現在オーナーになってから15年目に突入していますが、オーナーになってからの方が濃い事案がさまざまありました笑
私は初めからオーナーになろうと目標を立てていた訳ではありません。
よく言えば「実績を認めてもらえた」、悪く言えば「成り行き」です。
美容師になって先々独立しようと思っているかたに言えることは、独立することが目標なのではなく、お店を出して永続的に繁栄させていくことを最大の目標にした方が良いということです。
スタイリストになることが目標、店長に、オーナーになることをそれぞれの目標にすると、なれたら満足してしまい、その後のアクションが弱くなってしまいます。
永続繁栄させることはとても大変なことです。
そしてそこにゴールは存在せず、学び続けるということが何よりも大切です。
私も今まさに学び続けています。
金町という地域は私にとって恩義があります。
この地域に恩返しがしたい、金町をオシャレにしたいという想いを持って日々運営をしています。
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